昭島市にお住いの方々、いつもお世話になっております。
昭島市にある、個別指導塾 けいおう学院 中神南教室の尾作です。
連載シリーズの最終回は、「人生を豊かにするとは?」をお送り致します。
第1回の【勉強は何故するの??】のブログで、「人生を豊かにする為にする!」とお伝えしましたが「どういう人生が豊かなのか?」という事を私個人の哲学みたいな事を述べてみたいともいます。
人生の豊かさは何で計れるのでしょうか?お金と経済的な物を浮かべる方もいれば、友達の数やその人間関係の深さで考えたりという方もいらっしゃるでしょうし、自分の夢をいかに実現できたかで考えたりする方もいると思います。
私はどちらかと言えば、最後の「自分の夢をいかに実現できたか」です。夢にはもちろん、経済的な物から人間関係につながる事など多岐に渡ります。ただ、今回は哲学的な事を述べてみたいのでそこに絞って考えると、「人は何のために生きているのか?」という事に突き当たります。とても難しい事ではありますが、結論から申し上げますと「世の為・人の為に生きる」という事が生きている目的ではないでしょうか?
日本が元気だったいまから50年ほど前の高度成長期では、「いい学校を出て、いい会社に就職し、結婚をし家庭を持ち、マイホームを建てて・・・」みたいな【理想の人生設計】があり、世の中もそれを大なり小なりはあるにせよ国民の皆が達成する事ができた時代でした。しかし時代は変わり、昨今はサ●エさんの様な生活環境を「時代劇」とまで言う評論家が出始めたり、『クレ●ンしんちゃんの「野●ひろし」にもなれなかった世代』と私の様な30代半ばの人間は揶揄されるようになったりしています(笑)
ここで注目して頂きたいのは、いずれも「自分の為に生きる」という価値観のもと、これらの論評が述べられていることです。確かに経済的な豊かさは大切ですが、資本主義の世界であれば必ず勝者と敗者が出てしまうものです。稼ぐことの出来るお金の金額のみならず、これは人間関係にも響いてきます。若い世代の収入が少なくなったために、未婚者が増えているのも最近は注目されていますよね。資本主義の世の中で生きている以上、こういった価値観のもと、現代社会は動いています。恐らく、戦後の教育は戦時中に【全体主義的な教育】が行われたと思われている反動から、「個人の尊重」を謳っているのでこれは当然の事と思います。ただ、これは一たび間違った解釈をしてしまうと「自分の欲の為に生きる」と誤解されかねません。
「自分の為に生きる」ということは決して悪いとは思いません。私もそう生きている節は大いにありますし、自分がまず満たされていない事には「世の為・人の為に生きる」という発想もできないでしょう。ただ、【自分】という存在は長い宇宙も含めた歴史の中でほんの微々たる存在でしかありません。
仮に【自分】が今、この世から居なくなったとしましょう。そうなるともちろん、周りの人々は悲しむでしょうし、学校・職場の関係を持っていた人々は大変です。しかし、世界や日本のレベルで見た時、ハッキリ申し上げて大した影響はないのが事実ではないでしょうか。市町村単位であってもそうでしょう。居なくなったことで未来に生まれるはずであった財産・命などの損失は間違いなくありますし、命を軽視しているわけではなりません。しかし、繰り返しになりますが、上で述べたことは事実でもあると思います。つまり、【自分】というのは、案外ちっぽけな存在ではないかとも思う訳です。そいう視点から考え生きるのであれば、
「ちっぽけな自分にこだわるのもいいけど、世の為・人の為に生きるのもカッコいいじゃん!!」
というのが私の考えです(笑)
それを成し遂げることが、私にとっての「豊かな人生像」であります。当然このことに私は道半ばであり、私利私欲にとらわれる事は人間なのでございますが、心の何処かに留めておくように生きております(笑)
そういった事も踏まえますと、
【勉強は何故するの??】の答えは、
「世の為・人の為」
とも言えるかもしれませんね!
連載シリーズ第一弾は最終回となりますが、今後も勉強や私個人の考え方をブログにUPしたいと思いますので、御興味がございましたらお読み下さい。